謎多き国トルクメニスタンの激安ツアー。政府の威信を賭けた弾丸クレイジージャーニーの全貌とは

あなたはトルクメニスタンと聞いて何を思い浮かべるだろうか。
「地獄の門」、「永世中立国」、「中央アジアの独裁国家」etc…ひとつでも出てきたらあなたは地理通だ。普通の人は何も思い浮かばないのではないだろうか。〜スタンだからきっと旧ソ連のひとつでしょ?と思った方、それも正しい。しかしそんな表面的ないくつかのトピックスでトルクメニスタンは括れない。そう、この国には語りつくせぬ魅力と底の見えない深遠さがあるのだ。

今回縁あってトルクメニスタン激安ツアーに参加することができた。その全貌を書ける範囲で紹介したい。

トルクメニスタン激安チャーター便航空券出現

6月某日、こんな記事がネット上の一部界隈で話題をさらった。
トルクメニスタン航空、東京/羽田〜アシガバート線で6月にチャーター便 東京発往復200米ドル - Traicy

トルクメニスタンとの間に直行のチャーター便が出る、しかも200ドルで乗れるというのである。意味がわからない。乗り終わった今振り返っても意味がわからない。内情わかった今ですら首を傾げてしまう鬼ヤバ航空券である。ちなみに燃油・諸税込みだからな。いやなんなら燃油諸税で2万するわ。タダみたいなもんだわこんなん。一体何を考えてるんだ?
ガセじゃないかと疑いつつもトルクメニスタン大使館のHPを覗いてみた。するとトップページにこんな案内が。

トルクメニスタン大使館HPから転載


Don’t miss your chance!!である。
フィッシング広告のような謳い文句とクオリティで募集をかけている。しかしちゃんと.govドメイン。正真正銘のトルクメニスタン大使館である。こうなると私はchanceをmissするわけにはいかないので申し込んじゃってもやぶさかではない気分に急速に駆り立てられるのである。

トルクメニスタン大使館で詳しく話を聞いてみようじゃないか

詳しくは大使館に問い合わせろとのことだったので意気揚々と大使館に行ってみた。奇遇にも近所だったのである。私がよく行くスーパーから徒歩3分くらいの場所であった。

トルクメニスタン大使館の門

これがトルクメニスタン大使館だ

民家だ。紛れもない住宅街の、紛れもない民家だ。まあそんなものだろう。むしろ大使館があるだけいいじゃないか。私は意を決してインターホンを押した。トルクメニスタン語、或いは英語を覚悟したが流暢な日本語で応じてくれた。
「はい。」
「あの、チャーター便航空券の募集を見たのですが、詳細を知りたくて伺いました」
「ああ、じゃあメールもらえますか。詳細を送ります」
「わかりました。あの、ビザって間に合うんでしょうか」
「今日までならなんとか間に合います」
今日まで。まさかのギリギリであった。というかそもそも募集がギリギリすぎるのである。6月にいきなり6月のツアーを募集してくるって普通に考えてすごい。しかも日程は平日なのだ。一体どれだけの社会人がこのギリギリチョップに対応できるのであろうか。フットワークが軽くかつ好奇心旺盛な輩ではないと参加不可能なのだ。よく考えたら結構ハードル高いなこれ。どうせ既にリタイア組のジジイババアしかこねーな(口が悪い)と高をくくりつつも、夜に送られてきた詳細を見て私は参加を決めたのである。

ツアー内容・金額・条件

条件

200USDの格安航空券を購入しトルクメニスタンに入国するための条件は「現地ツアーに参加すること」であった。ビザ事情を鑑みるにこれは当然かも知れない。トルクメニスタンビザ取得には現地からの招待状が必要なのである(これが此国への渡航を難しくしており令和になった今も謎の国と呼ばれる原因なのだが)。現地ツアーを申し込めば現地ツアー会社が私をトルクメニスタンに招待する大義名分が生まれるという理屈だ。

金額

  • 航空券代:200USD
  • ツアー代:340USD
  • ビザ代:数十USD
  • ツアー内容

    日程は三日間。世界遺産ニサ遺跡をはじめ、国立博物館や著名なモスク、そしてなんと地獄の門にまで行けるという。初日を渡航日、最終日を帰国日とするとフルで観光できる日が1日しか無い中でこれはすごい。泊まれるホテルもなかなか良さそうだ。朝昼晩と全食事付き。航空券がそもそも安いから340ドルのツアー代も全く気にならない。

    申し込んでからトルクメ大使館クオリティを味わう

    さて、意気揚々と私は申し込んだ。ビザ発給のために写真やパスポートの写し、やたら項目の細かい申請書(出身校っているか?)を送付し結果を待った。なにせギリギリだったからいけるかどうかも確定ではないのだ。しばらく音沙汰がなかったので大使館に電話してみると電話口にはやや疲れた声の大使と思しき男性が出た。そもそもいつもこの男性が対応している。メールもきっとこの人だしインターホンに出たのもそうだろう。そこで私ははたと気づく。いや薄々感じてはいたのだがこの大使館圧倒的にマンパワーが足りてなくないか。限られた人的リソースをフル活用して(そして限界を超えて)頑張っているのだろう。まさかひとりじゃないよな?という疑問はツアーが終わった今でも謎のままだ。

    コンプライアンスってなにそれうまいの?

    さあ、大使館から招待状が送付されて来たのだがそれを見て私は驚愕した。なんとツアー参加者全員の個人情報が丸見えだったのである。

    黒塗りだらけにならざるを得ない


    氏名・性別・生年月日はもちろんパスポート番号まで全開だ。さすが大使館、治外法権のサンクチュアリ。ええい、日本の法律なんぞ守る必要などあるものか。
    これ参加者から苦情行ってんじゃないなあとか思いながら過ごすこと数日、今度は航空券のEチケットが送られてきた。さすがに今度は自分の分だけだろうって?…もちろん全員分来たよ。

    まあだから怒りが湧いてきたとかじゃなくて、普通に大使館の人が心配だよ。日本の労基法の庇護下でないトルクメニスタン大使館各位、どうぞご自愛下さい。

    随分早く羽田に集合

    便が10時なのに対して、羽田の集合時間は朝の6:30である。大使館からのメールには「時間があるからといって220人もいるとチェックインが時間かかるので」と書いてあったがそもそも搭乗客220人いるのね?こうやってメールで情報を小出しにしてくるスタイル嫌いじゃない。絶対集合早すぎだけど。
    トルクメニスタン航空のための特設カウンターの場所は普通の出発フロアとは別階にある「S」。オペレーションはJALの人がやってた。

    Sカウンター

    ここに来てようやくこのツアーの意味を知る

    我々一般ツアー客の他に同じ場所に集まった人々がいる。川崎重工の方々だ。そう、なぜこのチャーター便が出たのかが判明した瞬間であった。
    真相はこうだ。『トルクメニスタンで天然ガスをガソリンに変えるプラントの建設を受注したのが川崎重工であった。オープン記念式典が行われるので川崎の人々および参列する国会議員団のためにチャーター便が用意された』というわけだ。つまり我々がタダ同然の値段で渡航できるのは、空気運ぶくらいだったらもう何十人か日本人連れてった方がよくね?ってことなのであろう。合点がいった。

    これがトルクメニスタン航空だ

    沖留め。バスで移動し、タラップを自分の足で上る。いわゆる大統領スタイルである。

    トルクメニスタン航空 B777-200

    トルクメニスタン航空 B777-200


    トルクメニスタン航空機は日本では激レアレイドボスらしく航空機写真愛好家たちが羽田にこぞって集まったとか集まってないとか聞いた。

    機内

    大統領の写真が飾ってある。

    トルクメニスタン大統領閣下である

    トルクメニスタン大統領閣下である


    やはりこういうのを見ると独裁国家であるというのは本当なのだろうか。
    エンタメがあるかどうか微妙と聞いていたがちゃんと個人モニターがついている。やったぜこれで映画見れるわと映画のラインナップを見て驚愕した。なんと、映画が一本も無いのである。や、映画の項目はあるのよ。でも映画自体がない。自分でも何をいってるのかよくわからないがとにかく無い。映画がない。そして私は航空マップと大統領の写真を交互に見る素敵な空の旅を味わうのであった。

    機内食

    トルクメニスタン航空日本語メニュー

    日本語メニュー


    口に合うかどうかわからなくて身構えたが普通にうまかった。というかこれ行きはJALの飯なのかもと思ってきた。だってチャーターで日本に来て日本で機内食作れるわけないもんな…その点どうなってるのか詳しい人本当に教えて欲しい。
    トルクメンスタン航空うどん

    え、うどん…

    CA


    いい感じにフレンドリー。制服はトルクメニスタンカラーである緑。普通に英語なのだけども人によっては「すみません」とか声かけてくる方もいた。このチャーターのために日本語勉強してくれたのだろうか。

    航路

    トルクメニスタン⇆羽田

    トルクメニスタン⇆羽田


    手元に帰りの航路写真しかないので簡単に説明する。韓国・中国(モンゴル国境に沿う)・キルギス・ちょっとカザフ・ウズベキスタンといった国々を通過してたかな。

    トルクメニスタン到着

    乗って来た機体


    タラップを降りると民族衣装の女の子たちが一口揚げパンを持って出迎えてくれた。

    このパン、ツアー中いたるところで差し出されることになるとは知る由もなかった。どうやらトルクメニスタンではパンは神聖なものらしい。ガイドが言ってたから間違いないはず。

    アライバルビザをもらうために並ぶ。ビザ代かかるからね、と大使館に言われていたにも関わらず1ドルも払わずに発行してもらえた。後で聞いた話だが会計やってたら大量の人を捌けなそうだから今回は取らないことにしたのだという。なんだそれ&ラッキーの両方の感情がふつふつと沸き上がる出来事であった。

    トルクメニスタン入国、市内見学



    バスに乗り込んだ我々一般人のツアー参加者はまず博物館に向かう道すがら車窓に広がる壮大な街を見せられた。いやあ、アシガバート市内の景観、なんかすごい。一言で言うと「白い」であろう。建物が全部白い。

    どうやら総大理石造りなのだとか。これだけ大理石だらけの街も珍しいのではないか。観覧車まで大理石でできてるとか意味わからないでしょ?この街を見ただけでもうツアー代の価値あったわ。
    そしてやたらガイドはギネス記録を強調してくる。やれこれがギネスに載った、それもギネスだ、という具合に。「トルクメニスタンはこんなにすごい国なんだぞ」ということをちゃんと日本人に示しておくように、という指令を受けたのだろうか。
    正直な感想を述べておくと、ハードの豪華さに比してその恩恵を受けるであろう人が少ないのではないか?と思ってしまった。なんだかどこに行っても人が少なく、ぽつりぽつりと通行人がいる程度なのだ。やはりそこは独裁国家である以上大統領の意向が全てなのだろうか。民衆が欲しているとかは二の次、トップダウンこそが正義。前大統領か現大統領のどちらかかはわからないが、もし見栄のためだけに作られたものだったとしたら…そんなことを考えていると博物館に到着した。

    トルクメニスタン国立博物館

    世界最大「だった」巨大な国旗の目の前にその建物はあった(アゼルバイジャンのものに抜かれた、とガイドが言っていた)。トルクメニスタン国立博物館だ。

    ここでは写真撮影はNGと言われていたのだが、一転OKが出た。古くは考古学的なものから、様々なものが展示されている。実際遺跡で発見されたものなどは本当に価値のあるものであるのだが、ここでもどうにも大統領関連の展示が目を引く。トルクメニスタン大統領についてだけで別記事ひとつ書けるくらい写真を撮ってきたので暇を見つけていつか書こう。気が向いたら(+ニーズがあったら)。

    夜のアシガバート市内ツアー

    えっ、虹色…


    夜になると白亜の街は全く印象が変わってしまった。照明が、とにかく、派手。大理石はキャンバスとでも言わんばかりに様々な色の照明が街を怪しく照らすのだ。センスどこいった…と思ったのは言うまでもない。いや、実際七色の照明とかダサ、いや、なんでもないす。

    この超巨大ミラーボールを内包した星型建造物とかなんか照明と相まって禍々しさがやばいじゃん。何の建物かと思ったら結婚式場らしい。えええ。


    アシガバートの夜の人気スポット、永世中立の塔。登れるし、中にはレストランもあるって言ってた。ほとばしる旧ソ感。

    ホテル

    きらびやか…

    おおお…

    ホテルロビー


    いやあ、宮殿のような5ツ星のホテルが用意されてたよ。豪華絢爛。
    どうやらここは2017年にインドア種目のアジア大会的なものがアシガバートで開催された時に建設されたコンプレックス内に併設された高級ホテルなのだそうだ。オリンピック施設はよく大会後の有効活用方法について問題になったりするけれども、この巨大スタジアムやら各種施設がどう使われてるのかすごく気になる。まあ、こんな風に、たまに外国の人々を迎えるのにホテルは必要なのだろう。他はもう知らん。
    ロビーも朝食会場も全部豪華。部屋でもWi-fiに繋がる(当たり前のようだけどこれ大事)、あ通信事情については次の項に譲ろう。

    トルクメニスタンの通信事情

    海外simでトルクメニスタン用探すかーと思ってたのだけどついに見つからず、丸腰で現地入りした。キャリアによってはローミングでのデータ通信もできず(わかってる範囲でauは使用不可、softbankは海外パケットし放題対象)、かなり難儀するなあと。で、いざホテルのWi-fiに繋がったと思ったら各種SNSは遮断されているようだ。具体的にはtwitterやlineは使えず、gmailはいけるという感じ。また、中国で金盾を回避するのに大変役にたったVPNもなぜかトルクメニスタンではうまくいかなかった。

    ツアー2日目、怒涛の日程

    朝の6時代に朝食を食べ、7時には出発である。この日の予定は歓迎式典からの世界遺産、そして巨大なモスクを見学し、300km弱離れたダルヴァザにある地獄の門へ行って帰ってくる。日付を跨いで戻ってくるという鬼スケジュールである。
    出発前に大使館からのメールで「2日目の朝にコンサートが入るので予定が変わるかもしれません」と伝えらえていたため、世界遺産が予定から外されていないか気が気でなかったがどうやらちゃんと行ってくれるらしい。コンサートと聞いた時にはなんだそれ…と思ったが結果オーライだろう。そしてその「コンサート」は想像を絶するものであった。

    トルクメニスタンの本気を見た歓迎式典

    コンサート、と聞いていたので我々の前に数人が民族的な舞踊やら歌やら披露してくれるものかと思っていた。なんならホテルのロビーとかで簡単にやってくれるくらいかなと。
    私はどうやらトルクメニスタンを見くびっていたようだ。バスで連れて行かれたのは都心からはやや離れた郊外の広大な空き地のような場所だった(砂漠に囲まれた国なのだ。言ってみれば国土のほぼ全てが空き地のようなものだが)。

    手前より奥に注目


    そこに何十基ものゲルが築かれ、控えめに言って何百人もの民族衣装を来た人々が待ち構えていた。或いは千人規模だっただろうか。そして何十頭もの馬やラクダやその他様々な動物、山盛りになったメロンをはじめとした野菜(余談だが世界で初めてメロンを食用に供したのはトルクメン人である)、名産品の数々、伝統料理etc…もはやそこはトルクメニスタン文化村であった。いやもう、文化が氾濫してた。というか、旅行者にここまでのことするか?おもてなしが過ぎるぞ。

    我々が到着するやいなや始まる一糸乱れぬ舞踊。圧巻。ちなみになぜか爆音。

    歓迎の舞

    スイカ、メロン一緒に食べるかい?

    好きなだけお召し上がり下さい

    子供と遊んでみませんか?

    楽団も演奏しちゃう

    楽団も演奏しちゃう

    謎の巨大ブランコ

    ゲル内で食事。このあと肉と肉と肉と肉と肉と肉が出てきた。

    ご覧の通り、スケールが想像の斜め上を行く歓迎ぶりで厚く厚くもてなされたのである。我々は彼らの先祖でも救っていたのであろうか。だとしても今時鶴でもここまでの恩返しはしないぞ。

    まさかのサプライズ。大統領閣下拝謁

    歓迎会で「明るい北朝鮮」とも言われるトルクメニスタンの底力を体感していると、SPがなにやら慌ただしい。そしてついに衝撃の事実が伝えられた。
    「日本の皆さま、大統領がこの目の前の道を通るから一列に並んで手を振ってほしい」
    おいおいおいおいおいおい。まじかよ。やばすぎるだろそれは。この国の最高権力者にして個人崇拝の対象。もう国父通り越して神みたいな存在だ。王権神授どころじゃないぞ。神と肩組んでるような立ち位置の人間だぞ。北朝鮮で言えば金正恩、キューバで言えばカストロ、リビアで言えばカダフィのようなもんだ。
    私は緊張しながら大統領を待った。遠くに先導するパトカーが見えてきた。いよいよ来るぞ。

    それらしき車が来た。我々を歓迎してくれたおよそ千人ほどのトルクメニスタン人と我々日本人は盛大に手を振った。なんだこの沸き起こる喜びは。感動は。こ、これが独裁者を戴く国民の気分か、おい、これ、案外悪くないぞ。ちょっと楽しい。あ、車降りた、ちくしょう遠い、米粒くらいしか見えねーじゃねーか。こっち向いて。将軍様ーー、否、大統領閣下ーー。くそ楽しい。

    巨大なキプチャクモスクでお祈り

    歓迎の宴もたけなわ、我々は後ろ髪を引かれながら次の目的地、キプチャクモスクへと訪れた。

    トルクメンバシィ・ルーフ・モスク

    トルクメンバシィ・ルーフ・モスク


    正式名称はトルクメンバシィ・ルーフ・モスク。中央アジア最大を誇る豪華なモスクだ。金曜だというのにそれほど人はいなかった(イスラムにおいては金曜礼拝が1週間の中で一番大事なのだ)。
    トルクメンバシィというのは実は前大統領・ニヤゾフのことである。この場所には彼の霊廟も併設されている。こちらも同じくほとんど人が訪れていなかった。
    トルクメンバシィ・ニヤゾフ廟

    ニヤゾフ廟

    色々思うところがあった。なぜこんなにも人がいないのだ。国随一のモスクならばもっと人が祈りに訪れていて然るべきだし、先代大統領の墓ならもっと多くの参拝者を集めていてもおかしくない。推測の域を出ないが、やはり旧ソ連で一度宗教がリセットされた結果そこまで厳格にイスラムの戒律に重きは置かれていないのだろうか(歓迎の食事でめちゃ酒振舞われたし、なんなら我が国のワインうまいんだよって紹介されてた)。そして権力が現大統領に移譲した以上(韻踏んじゃったね)前大統領のプレゼンスは下がったのだろうか。デリケートな疑問だから聞くに聞けなかった。

    世界遺産・ニサ遺跡

    独裁国家にも世界遺産はある。ほら北朝鮮にもあるしさ。現代の独裁が過去の遺跡を毀損するなんてことは歴史を評価する態度としては正しくないしな。トルクメニスタンのUNESCO世界遺産は2019年現在3件あるのだが、首都アシガバートから最も近いのがニサ遺跡である。

    旧ニサ遺跡に残る建物

    旧ニサ遺跡に残る建物


    新ニサ・旧ニサ共に世界遺産の登録範囲内であるが、新ニサにはほとんど建物は残っていない。一方旧ニサには辛うじて柱や壁などが残っている。パルティア帝国時代の遺構だが、特筆すべきは東西文化の融合。ギリシャの神も居るし土着の(っていうには広域の神だが)ゾロアスターの神も居る。しかし中央アジアってほんと地政学的に面白い場所にあるよね。中東も欧州も東アジアも南アジアもそれなりに近い。文明の交差点だなあ。遠い目になっちゃうなあ。

    何気ない車窓の風景に驚愕の事実を知る

    次の目的地へとバスは向かっていた。失礼ながら砂漠の風景はどこも同じに見える。あ、でもこの道さっきも通ったかも。歓迎式典がやってた辺りだな。なんて思っていると眠気を吹き飛ばす光景が目に入って来た。

    我々はこの場所を知っている


    どう見てもさっきの歓迎式典が行われた文化村跡であった。おいおいちょっと待てよ。我々がそこを発ってモスクや遺跡を見てるたった数時間の間にあれだけの数のゲルや諸々を撤去したというのか?ブランコ台(これは支柱が地中に深く埋まってたから撤去に時間がかかるのだろう)なかったらそこだって気付かなかったレベルだぞ?
    圧倒的動員力だけでなく圧倒的撤収力を目の当たりにしてしまった。他国の怠惰なイベント会社に爪の垢を煎じて飲ませたい。全体主義ここに極まれり。

    地獄の門。トルクメニスタン観光のハイライトへ

    バスはダルヴァザの地獄の門へ向かった。しかしこれが遠い遠い。何時間かかっただろうか、途中二回のトイレ休憩を挟んでようやく着いた、と思ったらバスが近付ける最寄りであってそこから小さな車に乗り換えてまだまだ砂漠の道を進むという。これがまた悪路で、暑さも相まってやや気分が悪くなった。悪路を進むこと数キロだろうか、ようやく地獄の門に着いた。

    旧ソ連時代に天然ガスの発掘調査をしていたところ突如崩落し地面の底が抜けたそうだ。大量のガスが噴出しており、有毒ガスの恐れもあるため火をつけたという。それ以来数十年燃え続けている。

    こんな場所が地球上にあるのか、という様な光景である。幾ら言葉を綴るよりも写真の方が雄弁に語ってくれそうなので数枚載せておく。
    トルクメニスタンの地獄の門の夕暮れ
    トルクメニスタン_地獄の門_夜

    燃えろ…火よ…

    近づくと熱気がすごい。風向きによっては本当に熱い。暗闇の中で轟々と燃える業火は全くもって超自然的であり、人工物と自然現象の合いの子とも言うべきこの地獄の門は人間と自然との関わりという文脈で考えるととても示唆的であった。古来、この地の人々はゾロアスター教を信仰していたという。ゾロアスターは又の名を拝火教という。これはきっと偶然ではないだろう。太古よりこの地の人々は、燃え盛る火を、恵みとして感謝するとともに、畏怖の対象としていたのだろう。
    同じ道を同じ様に帰路につき、気付けば日付はとっくに変わっており、ホテルに着いたのは深夜3時であった。稼働20時間、なかなかにハードな1日だった。

    最終日

    この日の予定は、空港に向かい日本へと発つだけである。いわゆる帰国日だ。前日聞いていた話だとロシアンバザーに寄ってお土産なんぞを物色できるとのことだったが流石に深夜3時まで動いていた疲れを考慮して朝の集合が遅くなり結果買い物は無くなった。朝食を食べる時間が無いほど泥の様に寝てしまっていた私はそそくさと用意をし最後のバスに乗り込んだ。
    ハヤブサ型というなんとも珍しい形をしたアシガバート空港に着き、チェックインカウンターで荷物を預け、出国ゲートを通った。パスポートを返すイミグレ職員のニヒリスティックな笑顔に「サンキュー」と言った時、そういえばトルクメン語の「ありがとう」くらい覚えて来ればよかったと、最後の最後で気が付いてしまった。…次回は、覚えてこよう。

    実はツアー中ずっと取材されていた

    突然だが「世界報道自由度ランキング」というものをご存知だろうか。日本は先進国の中でも低い方だという文脈で語られることが多いこのランキング、本当の最下位の方は見たことがあるだろうか。ワースト2位は、あの北朝鮮。そしてなんとワースト1位がこのトルクメニスタンなのである。北朝鮮よりも下の国があるなんて、といつだか思った記憶がある。その時はまさか自分が訪れるとは思ってもみなかった。
    このツアー中、現地のTV局だろうか、ずっと取材クルーが我々に付いて回っていた。有無を言わさず撮られていたことになる。監視とまでは言わないが、気になる存在ではあった。
    人によっては個別インタビューを受けてた方々も多く、その方々曰く、あらかじめこういった内容のことを喋ってくれと言われた文言をカメラの前で話したらしい。っておい、そういうとこだぞ。むしろそんなことしなくてもちゃんと楽しかったよって言うよ。だって楽しかったもん。大統領のおかげで、ぐらいのリップサービスは強要されなくても口から出るから。一応日本人てかなり空気読める民族なんだよ?覚えといてね。

    我々をずっと追っていたクルーのカメラ

    おわりに

    正直今回のツアーに参加できたことはラッキーとしか言いようがない。結局200USD+340USDの他には全くお金を使わなかったし(現地通貨にすら両替していない。マナト欲しかったなマナト)、日本円で総額6万円弱ということになる。激安にも程が有る。今トルクメニスタン行きの航空券をふと見てみたらどんなに安くても10万円は下らなかった。しかも直行便なんていくら金を出してももう無理なのだ。そもそも定期就航してないのだから。ちなみに帰りのアシガバート→羽田間は8時間程のフライトだった。
    5つ星のホテルに滅多に行けない観光、そしてありえないおもてなし。断言しよう、二度とこんなツアーはありえない。

    と、まるで自慢話のようになってしまったので最後に我々を襲った災難について記載しておくのがフェアな態度だろう。実は、帰国してすぐに私は激しい食中毒症状に見舞われた。緊急外来を受診し、セカンドオピニオンで別の病院にも行き、ウィルスの同定検査を行いようやく本日結果を聞いて悪性のウィルスや細菌は検出されなかったとのことでこの記事を書いているのだ。ツアー参加者には同様な症状に苦しんだ方々も多いらしく、確実に何かに当たってしまったのだろう。先述の通り国会議員の方々も同便にてトルクメニスタン入りしていたのだがそちらの公務組も同様の症状になっていたそうだ。いやはや、最後の最後までクレイジーな旅であった。

    謎多き国、トルクメニスタン。しかし知れば知るほど面白い。当分私はあの怒涛の3日感を思い出しながら過ごすのだろう。
    トルクメニスタンといえばビザの取得ハードルが高いために旅人も避ける場所として知られているが、なんと日本人向けに観光ビザの緩和が検討されているそうだ。そうなったら或いは一大トルクメニスタンブームが到来するかも知れない。興味を持った方は是非訪れることをお勧めしたい。

    白亜の明るい独裁国家、トルクメニスタンが貴方を待っている。

    コメント

    1. 加藤村夫 より:

      次回の機会が有れば、是非参加したいです。

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