さようならマクドナルド。赤字転落したマクドナルドへの弔辞

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By: Håkan Dahlström

10月7日、マクドナルドが緊急会見を開いたそうです。上場以来初めて赤字に転落したらしい。なんだろう、そのニュースをぼうっと眺めながら何とも言えない気持ちになったんだよね。そりゃそうだよね、っていう感想の他にもっとこう、エモーショナルな気持ち。
結論から言ってしまうと、私はもう二度とマックに行かないと思う。別に今日決めたことではなくて、先般の腐肉問題のあたりが決定打。もう限界だった。
そして今日ニュースを目の当たりにして、複雑な気持ちになったんだよ。きっと一過性のもので、明日には忘れてると思う。黄色いMはただの風景になっていちいち感傷的にもならずに通り過ぎるんだと思う。
だから訃報(はいささか言い過ぎか?)に接した今日どうしても書いておかなくちゃ行けない。これは本当にマクドナルドが好きだったファンからマックへの決別宣言。別れの手紙。三行半。もしくは弔辞。ありのままの想いをここに。

拝啓マクドナルド様。

あなたとお別れのときが来てしまいました。正確には最後に私がマックに行った数ヶ月前、あれがあなたとの最後の時だったんですね。その時は確かテイクアウトだった気がします。帰りの道すがら中身を確認しながら歩いていたことは覚えています。いつもそうしていました。中身を入れ忘れたり間違えたり、おっちょこちょいな一面あったでしょう?なぜか確認するのが癖になってました。
最後の味は、正直余り覚えてません。覚えてないということは良くも悪くも普通だったのでしょう。マックの普通、それは一般的にはさほど美味しくないものと捉えられているようです。でも私はそうは思いませんでした。マックを食べると幸せでさえありました。有り体に言って、その幸せがスパイスになってるのならばやはり私の中の”普通”は”おいしい”だったのかもしれません。

あなたは私が産まれた時にはもう日本に来ていたんですね。あなたがいなかった時を思い出せないのは当然だったのですね。物心ついたときにはもうそこにいた存在、それがマック。
一番古い記憶は、おそらく私が保育園の時分だったと思います。店舗の中に子供の遊べるスペースがあって、顔のある木(彼に名前はあるのかな?)が店内に荘厳と、でもそのデフォルメされた表情のおかげで威圧感無く鎮座していました。私はそこで遊ぶのが本当に好きでした。兄と一緒に木のオブジェクトの周りを駆け回っていました。勿論そこでたべたハンバーガーやポテトの味は忘れることができません。こんなおいしいものがあるのかって思いました。シェークを飲んだ時、体を硬直させたまま目をぱちくりさせて母の顔をずっと見ていました。たぶんおいしいと言おうとして、でもびっくりして言葉が出てこなかったんでしょう。本当に幸せな空間でした。

高校に進学すると、それこそ毎日のように通いました。寂れた地方都市(都市と言うには語弊と気恥ずかしさがあるな笑)でしたがちゃんとマックはありました。学校の近くでしたから最高の溜まり場でした。気の置けない仲間と食べるポテトは話の潤滑油にもなるみたいです。私たちは何時間もそこで将来について語り合いました。そして何にでもなれる気がしていました。あの頃の全能感はほんと異常だったけど、あれってマックを食べてたから?多分違うんだろうけどね、とにかく、私の青春の一ページに確実に刻まれてるんです。他の学校の異性と話したり、テスト期間に勉強させてもらったり、あ、今考えたら迷惑なお客でしたね。今私は大人になって、騒いでる学生とか見るとうんざりするけど私も御多分に漏れずその道を通って来たんだった。寛容になるべきだったなと反省しています。まあ、もう遅いんですけどね。

私事ばかりお話ししてしまって恐縮ですが、もう暫く、出来れば最後までお付き合いください。最後なんで全部言っておかないと気が済まないんです。それも私のわがままだと言われてしまうと返す言葉もありません。いいんです、本当はこうして書いているだけで私は満足なんです。たとえ読んでもらえなかったとしても。弔辞もラブレターも、そういう側面があるじゃないですか。ええ、そうです、自己満です。

話を戻しますね。私は大学進学の為に上京しました。初めて住む東京(実は住所が神奈川だったのは笑い話)の街にもマックはありました。しかもびっくりすることに、渋谷なんかには5個も6個もマックがありました。右も左もわからない田舎者の私はマックに逃げ込む事がよくありました。あ、決して人に追われてたとかじゃないですよ。なんとなく、都会に居心地が悪くなってマックに逃げ込んでいました。そこには懐かしい味があったから。長時間座ってるには適してない椅子とか、ポテトが揚がった時のメロディとか、店内の匂いとか、なんとなく落ち着けたんです。
都会に慣れて夜遊びなんかを覚えた時は、24時間営業のマックは羽を休めるにはぴったりの波止場でした。あの朝のけだるい体に、クソ眩しい朝日をブラインドで遮って食べるハッシュポテト。若気の至りで誰も帰らない仲間達は通常メニューになる時間帯まで、あの曲がサイコーだとか誰々がイカスだとかくだらない話をさも未知の生物を発見した専門家のように主張し合っていました。

マックを思うときに胸が少しきゅんとなるのは、きっと思い出にアクセスしてるからなんだと思います。思い出補正という協力なスタビライザーを搭載した今の私が思うマックはとても輝いています。でもそれは結局、全て過ぎ去ってしまった事なんです。正確に言うと、昔のマックは輝いていました。そう、いつからかマックは少しずつ変わっていきました。

値段設定に違和感を覚えたのはいつだったか覚えていませんが、へえ、マックなのにこんなにするんだと思った時が確かにありました。高価格帯の物を出すなとは決して言いません。それがあなたの戦略ならば我々国民は何も言う事はないでしょう。価格と商品が見合ってないと思ったら買わなくなるだけなんです。ものすごくシンプルですよね。あなたがデフレを牽引役となって我先に65円というハンバーガーを販売し、日本のファストフードは価格競争の熾烈な戦いに突入して行きましたよね。牛丼も280円になりました。そうして周りが安くなった中、あなたはじわりじわりと値段を上げ、ついに周りと比べて高いと思う所まで来てしまいました。安さが付加価値だったあなたを今誰が選ぶんでしょうか。それはあたかも若さだけがとりえだった少女が中身の成熟を伴わないで歳だけを重ねて行った様に似ています。もう一度言います、誰が選ぶというのでしょうか。

100歩譲って、価格が上がっただけだったらまだ楽しい思い出を宿したマックに行くチャンスが残されていたかもしれません。とりわけ車で遠出した折り等に食べるドライブスルーは格別で、運転手(たいていその車の持ち主)が残留するであろう匂いに気を揉むというクリシェを差し引いても本当に楽しいしおいしいと思る旅の一コマですし、その時は値段がどうだとは気にもしないでしょう。パノラマの様な太平洋を眺めながら食べるマックはドレスコードのある高級店でのフルコースと同等の満足感を得られますし、これこそがプライスレス(会社が違いましたね)でしょう。

さて、決別をするからにはその主たる理由をやはり書かないわけにはいきません。やはり中国での期限切れ肉(ネット上では腐肉なんていう表現もされていてげんなりしますよね)を使用していた事、これに尽きます。私はマックのナゲットが本当に好きでした。あんなまずいもの、という突っ込みが入ったとしても私は自信をもって好きでしたと言い張ります。正規の値段だとやや割高だと思っていたので100円クーポンが出ないかと毎週アプリを確認したり、今となっては懐かしい思い出です。とにかく、「今までに食ったパンの枚数」(若干言葉遣いが汚いですがこれはただの引用です)と同じように覚えてないくらい食べました。それが腐ってたなんて。勿論私の食べた物は普通だったかもしれません。なんせおいしかったんですから。ただ、どうしても胃には落ちましたが腑に落ちないのです。
事態に油を注いだのは謝罪会見でした。謝罪だったかどうか今となってはなんとも言えない会見でしたよね。自分たちも被害者であるという趣旨のお話でした。心配をおかけしまして申し訳ありませんとは仰ったかもしれません。それは誰に向けての発言だったのでしょうか。株主でしょうか。そりゃあ株主は心配したでしょう。でも、カサノバさん、名指しですみませんが、あの会見はやはりどうだったのでしょうか。私はいち日本人として、困惑しました。同時に悲しくもありましたし、ふつふつと怒りの様なものも込み上げてきました。いろんな感情を想起させてくれる、なんとも印象的な会見でした。私はあれを忘れません。

日本人はこと食になると、怒ります。どれだけ歴史問題などで内政干渉されても怒らなかった日本が、餃子に毒を入れられたときに烈火の如く怒りました。おそらくそういう国民性なのです、としか言いようがありません。食べ物の恨みは忘れないのです。
誰にも間違いはあるでしょう。間違えたらちゃんと謝らなきゃだめですよ。謝るならば気持ちを込めなきゃ駄目ですよ。私は子供の頃母にそう教わりました。その場所がマクドナルドでした、とか言ってしまうと途端に作り話ぽくなってしまうので自重しますね。
腐り肉で超えては行けない一線に乗り、その対応で超えてしまったのです。
今までも色んな事が話題になりましたよね。サクラを1000人雇っただとか、客に見せるメニューを撤去したとか、馬鹿だなあと思いながらもそれでも私は消費者であり続けました。むしろ擁護さえしていたのです。上客とは言いませんが累計では本当にもの凄い額を使って来たと思います。だからといって見返りを求めてるわけじゃないんです。キャバクラにはまって財産のほとんどをつぎ込んだんだから最後に一回くらいヤラせろとか言っているんじゃないんです。ただ私はいつもの、ふつうの、マックでいてほしかっただけなんです。しかしそのいつものマックが私達の安全と安心を脅かす存在ならば、先程も申し上げましたが私達消費者はただひっそりといなくなるだけです。これほど因と果がはっきりとしたシンプルなものはないでしょう。

赤字転落という事で、これからマクドナルドがどうなっていくのか、私はそこには関心があります。なんといっても大企業ですからきっと折に触れてニュースを目にする事になるでしょう。ただ、私はもう二度とマックには行きません。確固たる決意を持って行きません。消極的とも言える消去法で行かないを選択するのではありません。積極的な拒否です。I’m lovin’ itを謳うのは結構ですがラヴィングしてる人達がこうして確実に減っている現状を直視して下さるのを御祈り申し上げます。

いいともがない日常など考えられないと言っていた人々は今普通に日常を送っています。ウキウキウォッチングしなくても人は生きて行けるんです(タモさんを見る機会が減った事だけは心から残念ですが)。
同様に、マックが無くてもきっと生きて行けるでしょう。スマイルだって、そこら中に溢れてる。
最後にこんなことを言うのはずるいかもしれませんが、言わせて下さい。ほんとうに大好きでした。さようなら。

敬具

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